──“好き”にお金と時間を使う私たちは、搾取されているのか
「また課金したの?」という言葉に、少しだけ傷つく
ライブのチケット、グッズ、配信、サブスク、遠征費。
推し活をしていると、どうしてもお金はかかる。
「それってただの消費じゃない?」
「企業にうまく乗せられてない?」
そんな言葉を投げかけられたことがある人も多いはずだ。
たしかに、推し活は経済活動だ。否定しようがない。
でも、それだけで片づけてしまっていいのだろうか。
推し活=消費、という見方は間違っていない
まず、冷静に整理しよう。
推し活は間違いなく「消費」だ。
- 商品やサービスにお金を払う
- 数量限定・期間限定で購買意欲を刺激される
- ファン心理を前提にビジネスが設計されている
これは紛れもなく、現代のエンタメ産業の仕組みだ。
極端な話、推しが存在しなければ成立しない市場でもある。
だから「搾取構造だ」と批判されるのも、理解できる。
それでも人は、推しに“救われる”
一方で、推し活をしている人の言葉を聞くと、
消費という言葉だけでは説明できない側面が見えてくる。
- 嫌な一日を乗り越える理由になった
- 生きる目標ができた
- 自分を肯定できる時間が増えた
- 孤独が少し和らいだ
推しは、ただのコンテンツではない。
感情を預けられる存在になっている。
これは、お金では測れない価値だ。
なぜ今、「推し活」がここまで広がったのか
背景には、現代社会の変化がある。
- 将来が見えにくい
- 成功モデルが崩れた
- 努力と報酬が結びつきにくい
- 人とのつながりが希薄化した
そんな中で、推しは
「自分が応援してもいい存在」
「好きでいても否定されない対象」
として機能している。
言い換えれば、安心して感情を注げる場所だ。
推し活は「意味のある消費」なのかもしれない
消費には、2種類ある。
- 何となく買って、すぐ忘れる消費
- 自分の人生に意味を与える消費
推し活は後者に近い。
もちろん、行き過ぎれば生活を圧迫する。
依存になれば苦しくなる。
でもそれは、推し活が悪いのではなく、
バランスを失った状態が問題なのだ。
「救い」と「消費」は、対立しない
ここで大事なのは、
「消費か、救いか」という二択で考えないことだ。
推し活は
消費であり、同時に救いでもある。
お金を使っているから価値がない、のではない。
心が動いているからこそ、消費が成立している。
私たちはいつの間にか、
「役に立つこと」「生産性があること」だけを
正当化しすぎているのかもしれない。
推し活を肯定するということ
推し活を肯定するとは、
浪費を無条件に正当化することではない。
- 自分の生活を壊さない
- 他人を攻撃しない
- 推しを“所有物”にしない
このラインを守れたとき、推し活は
人生を支える文化になる。
最後に:あなたにとって、推しは何ですか?
推し活は、消費だ。
でも、救いでもある。
そのどちらが強いかは、
他人が決めることではない。
あなたが明日を生きる理由になっているなら、
それはもう、十分に価値のある「好き」だと思う。


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